男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

角倉了以〜この者、徒者にあらず

其の四 父子の二人三脚

ところで、角倉父子の業績はわかったけど、了以さんと素庵さんはどんな人たちだったのかなぁ。

安土桃山時代から江戸時代にかけての社会状況を記録した書物に『当代記』というのがあるんだけど、これによると了以は「この者、徒者(ただもの)にあらず」。

え〜、そんだけ?

ある意味、最小限にして最大の褒め言葉かもしれないけど、了以の人間性を示すこんなエピソードがある。高瀬川を拓くために川筋を測量していた了以が、三条橋のたもとに来た時、悲劇の関白、豊臣秀次一族の「畜生塚」が誰に弔われることなく、野ざらしになっているのを見つける。これを哀れに感じた了以はその地に瑞泉寺という寺を建立して菩提を弔った。また、了以の隠居所となった嵯峨の千光寺は、保津川や大堰川の工事で犠牲となった多くの人たちの菩提を弔うために建てられたものなんだ。

優しい人だったのね。見た目はコワイけど…

うん。見た目が優しそうな息子の素庵は、実業家としても一流だったけど、文化人としても超一流だった。儒学を藤原惺窩に、書を本阿弥光悦に学んで書道の角倉流を創設、「寛永の三筆」と呼ばれたほどの書家でもある。隠居した後は、古活字の嵯峨本(角倉本)を刊行したことでも有名だね。後に多くの人が文章作成の手本にした『文章達徳録』という本も書いている。

ある意味、お父さんより偉大な人物かもしれないわね。

そうだね。河川の開墾許可とか、幕府に対する交渉役はみんなこの素庵が引き受けている。温厚な性格や教養人としての人脈が相当役に立ったと思う。だから、技術と現場は了以が、事務方は素庵が、という役割分担で、常に二人三脚の人生だったんじゃないかな。

最後の夢

ふ〜ん、了以さんは高瀬川を造ったところで亡くなったってさっき聞いたけど、もっと他にやりたいことがあったんじゃないかなぁ。

実は、了以は高瀬川が完成する前に、宇治・琵琶湖間の運河計画を願い出ているんだ。

え〜っ、どういうこと?


山にトンネルを掘って琵琶湖の水を京都まで引っ張ろうということだな。これは物流のために宇治川と琵琶湖を結ぶというだけじゃなくて、琵琶湖の水位を下げて6〜20万石の水田を作るという途方も無い計画だった。結局、実現することはなかったけど、明治時代になってやっと具現化することになる。それが今も使われている琵琶湖疏水だ。

発想そのものは間違っていなかったってことね。

疎水に関するいきさつは姉妹サイトの「アラカン」で滅茶苦茶キュートな華月由舞ちゃんがレポートしているから、そっちを読んでもらうとして、ワタシの話はこのへんで終わり。なにせこのサイトは江戸時代専門だからね。

あ〜ら、滅茶苦茶キュートとか、可愛い娘にはずいぶん優しいじゃないの。でも、角倉さんみたいに私財を投げ打ってでもインフラ整備をやろうなんて人は、今の時代ではなかなかいないわよね。

ホント、そうだよな。税金に頼るばかりでは何でも限界があるし、今は短期間で結果を求めすぎる。10年後、100年後を見据えたビジョンをこの時代の商人が持っていたと思うと、今の時代、何が進歩したのかと問いたくなるよね。
<おわり>