男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

角倉了以〜この者、徒者にあらず

っていうことは、話の流れからすると角倉さんも海外と関係があったってこと?

ピンポン。当時の日本では、貿易というと正規ルートよりも倭寇という海賊集団の密貿易ルートの方が力を持っていた。これには明も手を焼いていたし、秀吉も倭寇を鎮圧した上で東シナ海の交易権を何とかしたいという思惑があった。だから、一方で朝鮮出兵を画策しながら、もう一方で朱印状という一種の海外渡航許可証を発行していたという説がある。

秀吉さんのお墨付きがあれば、海外に出て行って貿易しようって人も出てくるわよね。

堺の呂宋助左衛門(るそん・すけざえもん)なんか、その代表格だろうね。今で言うベンチャー起業家が朱印状を得た船、つまり朱印船を仕立てて海外に雄飛しようというわけだ。「黒潮騒ぐ海越えて 風にはためく三角帆 めざすは遠い夢の国 ルソン、安南、カンボジア 遥かオランダ、エスパニア〜♪」

また急にわけのわからない歌を歌わないでよ。迷惑だわ。

キミは『風雲黒潮丸』を知らんのか。まぁいいや。機を見るに敏な角倉も、早速御朱印船で東南アジアに進出する。これが角倉父子最初の挑戦。多角経営でしっかり蓄えた資本を海外貿易に投資したんだな。店の片隅でソロバンを弾く手堅い利ざや商売から、ハイリスク・ハイリターンで勝負する投機型に変えたわけだ。でも、これにはひとつ裏がある。

家康との蜜月関係

なんですか? 裏って。また勿体つけて…。

エヘヘ。秀吉の「楽市楽座」ですよ。この独占廃止、自由市場政策で角倉が独占していた「帯座」の権益も無くなっちゃった。そこで角倉は帯の材料となる生糸の流通に活路を見出そうとしたわけ。でも、当時の生糸はすでに国産より南蛮船や華僑船によって輸入された質のいい中国産が市場を席巻していた。

それじゃあ、中国にって生糸をたくさん買い付けてきたとか…。


ところがそうじゃないんだ。朝鮮出兵で明と交戦していたから国交は絶たれていたし、それ以前から明は倭寇対策として東シナ海での交易を禁じていた。だから中国船と日本船が他国の港で合流して取引する「出会い貿易」が行われていたんだ。

わ〜、ずいぶんまわりくどいやり方ね。それじゃあ、生糸以外にも何か取引していたの?

日本からは銀や銅などの鉱産物、それに扇子や屏風、刀といった工芸品ね。海外からは鹿革とか鮫皮、砂糖なんかも輸入していた。でも、商人に限らず大名たちが眼の色を変えて欲しがっていたのが鉛や硝石といった鉄砲関連の軍事物資だった。まだまだ誰が天下を取るかわからなかった時代だからねぇ。角倉も漢方などの医薬品に加えて、こうした資材を大量に扱っていたらしい。

それって今で言う「死の商人」みたいなもの?

商人にとって、最大の得意先は大名だからね。角倉が最も親しかった大名が徳川家康だ。徳川幕府というと鎖国のイメージが強いけど、当初は海外貿易を奨励していた。江戸幕府がスタートした慶長8(1603)年には家康の朱印状発行と共に、本格的な海外貿易が始まっている。この時、大坂(大阪)の末吉孫左衛門や茶屋四郎次郎といった大物連中を抑えて、真っ先に朱印状を支給されたのが角倉だった。

どうして角倉さんだけが優遇されたのかな?


それについては推測する以外ないんだけど、家康最大の危機「伊賀越」を助けた命の恩人でもある茶屋四郎次郎よりも先ということは、家康が無類の漢方薬好きだったからとか、秀吉時代にすでに朱印船貿易で安南まで渡航していた実績があったからとか、そんな理由しか見つからないね。

安南って、今で言うとどこの国のこと?

現在のベトナム北部にあたる地域だ。当時の首都は東京(トンキン)、今のハノイだね。ついでに言うと、中部ベトナムが交趾。南ベトナムの隅っこがチャンバ王国の占城。山田長政が活躍したタイのアユタヤ王朝が◯羅って…、漢字が難しすぎて出てこないよ。
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