男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

紀伊国屋文左衛門〜一世一代の大バクチ

     
じゃあ、奈良茂さんだって、紀文さんみたいに庶民のヒーローになってもおかしくないのにねぇ。

ところが人気がなかった。詳しく話せば長くなるけど、柏木屋という材木商を謀略で没落させ、御用商人としてのし上がったという悪い噂もあって「陽の紀文、陰の奈良茂」というイメージが出来上がっていたようだね。ただし、この4代目は元禄バブルが崩壊してもしっかり財産を残していた。

ははぁ。何となく予想できるけど、堅実な奈良茂さんに対して、浪費癖の激しい紀文さんは財産を残せなかったってこと?

そうとも言い切れないんだけど、少なくとも奈良茂に関しては、最低でも13万両、一説には40万両とも言われる財産を残した。だから浪費伝説の主はその財産を食いつぶした5代目、6代目だろうというのがさっき言った話の根拠ね。4代目は「堅実な商売をしなさい」とか「なるべく公共事業には関わらないように」なんて家訓を残しているぐらいだから、浪費家というよりも、クールで手堅い商売人という印象の方が強い。

「公共事業に関わるな」なんて言い残すってことは、4代目はきっと何か痛い目に遭ったのね。

紀文も奈良屋も柳沢のような特定の幕閣とつるんでいたフシがある。だから、そういったキーマンが失脚すれば、当然風当たりは悪くなる。もともと幕府は財政難の状況にあったから、綱吉の死と共に公共事業も縮小され、材木相場も下落。元禄バブルの衰退と共に紀文や奈良茂も衰退を余儀なくされたんじゃないかな。

でも、紀文さんほど商才がある人が、バブル崩壊っていうシナリオを読めなかったのかなぁ。

もちろん、木場にストックしていた材木が焼失したとか、幕命で十文銭の改鋳を請け負ったことが多大な損失を招いたとか、さまざまな説があるけど、どれも確証はない。加えて、晩年は不幸だったという説と、悠々自適に過ごしたという説の両方あって、どちらが真実かはわからない。

う〜ん、確かに、お金があるから幸せだったとは限らないもんねぇ。

信憑性が高いのは、八丁堀の豪邸や、現在は清澄庭園になっている別荘を売り払った後、一時浅草寺に住んで、その後深川八幡宮の一の鳥居近くに隠棲したという話。その時深川八幡に総金張りの御輿を三基も奉納したという話が伝わっているから、実は相当お金も持っていたんだけど、材木店を円満解散した上で、敢えて使ってしまったのではないかとも考えられる。

もしそうなら最後までカッコイイけど、紀文さん、晩年は何をしていたのかしら。

粋人の生き様

榎本其角や英一蝶を始めとする文人墨客と交流して、俳句なんかに没頭しながら、天寿を全うしたという話だ。一方の4代目奈良茂は、綱吉が死んで5年後の正徳4(1714)年に原因不明の急病で亡くなっている。江戸っ子たちは「きっと騙された柏木屋の祟りだ」なんて噂したらしい。

ふ〜ん。でも結局、紀文さんってどういう人だったのかな。謎が多すぎてわからないわ。

「然るに紀文内ではヌカミソ汁」なんて川柳もあって、実生活は意外に質素だったという見方もある。加えて、外向きには風流人として通っていたけど、使用人に関しては盗人も酒飲みもお構いなしに高給で雇って、いざという時には意のままに使っていたという“裏の顔”も指摘されているんだ。

まるで裏社会のボスみたいね。そういう二面性もあったんだ。ますます謎だなぁ。

要するに、元禄という時代が生んだ特異な自由人であって、もともと財産なんか残す気がなかったんじゃないかなぁ。金や名誉には執着せず、封建社会の枠を超えて生きたいように生きる人。だから世間の批判や無理解を受け流すために、敢えていろんな顔を使い分けた。

もしそうだとしたら、確かに思い通りに生きたっていうことよね。お子さんはいなかったの?

いたけど、父親のような商才はなかったらしくて、凡庸な人物だったと言われている。ところで、紀文の晩年を象徴するエピソードとして、こんな話がある。紀文が亡くなって数年後、紀文宅にある俳人が住むことになった。それで改装しようとしたんだけど、天井に細かい紙が貼ってあって、数カ所破れているようにも見える。

あら〜、やっぱり紀文さん、晩年は質素だったのかな。


その俳人もそう思った。「さしもの紀文大尽も、落ちぶれれば紙天井か…」。そこで知り合いの経師屋(きょうじや)に修繕を頼むことにした。ところが、天井を調べた経師屋がこれを繕うのは難しいと答えた。なぜだと思う?

わかんない。でも、紀文さんのことだから、最後の最後まで何か驚かせてくれそうね。

経師屋いわく「さまざまな色の紙が細かく貼ってあるように見えますが、これは皆産地が違う。しかも、同じ白い紙でも糊が違う。100年前のものもあれば、30年、50年前のものもある。実に素晴らしい。まさに贅沢の極み。よくぞこんな風流人がおられたものですな」
<おわり>