男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

紀伊国屋文左衛門〜一世一代の大バクチ

確かに、カッコイイわよね。金離れのいい男って、昔も今もモテる男の条件かもね。

元禄文化というのは、言い換えれば上方の経済力をバックに、急激に台頭してきた町人文化だ。紀文は、この華やかな時代にあって、江戸の代表的なスターだったと思うよ。加えて「宵越しの銭は持たない」という江戸っ子気質にもぴったりはまっていたんだろうね。

なるほどねぇ。紀文さんは時代の申し子でもあったのね。

しかし、そういう生き方というのは、登るときと落ちるときの落差が激しいものだ。紀文だって例外ではなかった。見方を変えれば、その落差が魅力でもあるんだけどね。

あらら、やっぱりそうなのかぁ。でも、落ちるところを聞く前に、紀文さんの絶頂期の話をもう少し聞きたいわね。

度を超した豪遊

確かに、不景気なご時世に不景気な話もナンだから、パァっと景気のいい話をしよう。但し、紀文の豪遊伝説というのはかなり脚色が多いと思うから、話半分に聞いてくれよ。舞台は吉原だ。当時の吉原というのは今の銀座と歌舞伎町が一緒になったような、幕府公認の一大社交場だった。

銀座のクラブも歌舞伎町の風俗店も行ったことないからわからないけど、男の人にとってはさぞかし楽しいところなんでしょうね。

紀文にとっては、勘定方のお役人をお忍びで接待するにも好都合だったんじゃないかな。まずはこんな話がある。江戸に初雪が降った日、吉原で雪見の会と洒落込んでいた紀文に幇間、つまり太鼓持ちが来てこう囁いた「旦那、今夜は奈良屋さんもお向かいの店で雪見だそうで…」それを聞いた紀文の顔色が変わった。

奈良屋さんって誰?


奈良屋茂左衛門、通称奈良茂(ならも)は同業の材木商にして紀文最大のライバルだ。この人については、また後で説明しよう。で、奈良屋の雪見という話を聞いた紀文は一計を案じた。小判に小粒銀を混ぜたおよそ300両、つまり3000万円もの袋詰めを幇間達に持たせて、雪景色にばらまかせた。さぁ、それから先は大パニックだ。騒ぎを聞きつけた女達やお客、通りがかりの通行人も夢中になってそれを拾い集める。当然店も座敷も空っぽ。折角の雪景色も踏み荒らされて台無しというわけだ。

ライバルの雪見を邪魔したいっていうだけで3000万円もかけたの? バカみたい。

バカなのは紀文だけじゃない。紀文がある店の2階で月見の宴を催していると、どうも階下が騒がしい。様子を見に行かせたら、階段の上り口で板をはずして手すりを壊している。なぜ壊すのかと聞くと巨大な饅頭を2階に運ぶのだという。しかも、その饅頭は奈良屋からの贈り物だという。しかも饅頭は丁寧に折り箱に入れられて真田紐で結んであった。

雪見の仕返し? 奈良茂さんも相当な意地っ張りね。


それだけじゃないよ。その巨大な饅頭を割ってみると、中には小さな饅頭がぎっしり。壊した階段は、後で大工が何十人も来て、元通りに修繕したとか。ちなみにこの饅頭、かかった費用が70両。加えて大工の工賃もあっただろうね。

あははは。紀文さんは面白くなかったでしょうね。


後日、紀文は奈良茂馴染みの店にお礼を届けた。奈良茂も、紀文から何か来るだろうとは思っていたから、ある程度予想はしていたんだけど、来てみたら上品な蒔絵の小箱だ。ほほう、紀文も懲りたかと思って開けてみれば、中には生きたままの豆蟹がウジャウジャ。

うわっ、気持ち悪! それってただの嫌がらせじゃないの。

これがどんどん這いだしてくるから、遊女も禿も気味悪がって逃げ回り、店中が大騒ぎ。呆れた奈良茂が一匹をつかまえてよく見てみれば、甲羅に女郎の名と、贔屓の客の家紋が金で刻んである。つまり、動く蒔絵というわけだ。しかもすべての蟹に違う細工が施してある。これにはさすがの奈良茂も参った。
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