男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

紀伊国屋文左衛門〜一世一代の大バクチ

其の弐 巧みな情報操作

じゃあ、逆に「みかん船」の話が怪しいっていう根拠は何かあるの?

確たる資料が残っていないというのは勿論だけど、この時代にはすでにみかんの栽培が全国で盛んになっていて、北限は湘南辺りだったというんだな。だから、静岡辺りがよほどの凶作でもない限り、わざわざ危険を冒してまで紀州から江戸までみかんを運ぶ理由がない。さらに、記録に寄れば紀州から江戸へのみかんの出荷が始まったのが寛永11年(1634)で、その後すぐに日本初の出荷組合「蜜柑方」が組織されているんだ。だから「みかん船」伝説が生まれた貞享年間にはすでに50年もの歴史を経ていて、出荷は統制され、出荷先の細かな記録も残っている。

っていうことは、そこに出荷先「紀文」ていう記録は残っていないんだ。でも、記録にないからってウソだとは言い切れないでしょ。

紀州徳川家は御三家のひとつで、みかんの国内輸出は重要な収入源だった。だからもし「蜜柑方」を通さずに勝手に売ったりしたら打ち首ものだったんだ。それに、一晩海水に洗われたみかんが腐らなかったのかという疑問も残る。

う〜ん、そう言われると確かに作り話っぽいわよねぇ。


歴史学者の中には、そういった理由で紀文の存在そのものを否定する人もいるからね。庶民の創造の産物だとか、後世になって誰かをモデルに作られたとか。確かに、この豪商列伝でも取り上げる河村瑞軒なんかは、大火で儲けた材木商の先駆者でもあるから、紀文とエピソードがかぶる点も多々ある。

でも、仮に誰かが手の込んだ作り話で、架空の大金持ちを創造したとしても、それがどうして庶民の人気者になるわけ?

そう、そこなんだよ。「みかん船」のエピソードが普及した背景には、恐らく日本初ではないかと思われるCMソングの存在があったんだ。

CMソング? 江戸時代なのに?

「沖の暗いのに 白帆が見える あれは紀伊国屋蜜柑船」っていう歌なんだ。紀文はこの歌を使用人なんかにあちこちで歌わせて、口コミ戦術で広めたという話だ。この歌が流行ると、何となくみんな口ずさむようになるから、みかんを買おうとするとついつい紀州のみかん、有田みかんを買ってしまう。

あはは。凄〜い。コマソンを流行らせて紀州のみかんをブランドにしちゃったのね。

紀伊国屋の屋号も歌で広まったというわけ。ちなみにこの歌は幕末になって座敷芸の「かっぽれ」という形でリバイバルするんだけど、庶民の期待を裏切らないベンチャー企業家、紀文の名声は巧みな宣伝効果で一気に高まった。いつの時代でも庶民は、こうした一世一代の大ばくちが大好きなんだね。

確かに。ハイリスク・ハイリターンっていうやつよね。


「みかん船」に象徴されるように、紀文の本質は相場師であり、投機家なんだと思う。上方で疫病が流行ったとき、塩鮭が効くというデマを流して、みかん船の復路に大量の塩鮭を積んで売りさばいたとか、若い頃の紀文のエピソードには、情報操作の天才というイメージがある。

今の時代に生きていたら株で大儲けしそうなタイプね。


後で紹介する吉原での馬鹿げた豪遊伝説も、紀文ブランドを広めるための宣伝活動だったと考えれば納得がいく。ブランドというのは、或る程度認知されればあとは一人歩きするからね。キミだって、ブランドもののバッグは大好きだと思うけど、それを製造している会社の経営実態についてはそんなに詳しくないだろ。だから、御用商人でありながら庶民にも人気があったというのは、紀文の周到なブランド戦略の賜物だと言っていいんじゃないかな。

でも、権力ベッタリっていう本当の姿が見えたら、みんな幻滅しちゃうんじゃないかなぁ。

ところが紀文の場合、同時代の豪商、三井や住友と決定的に違うところがある。それは、稼いだ分使う。つまり必ず利益を市場に還元するということだ。倹約し、蓄財するという商人の理想に反して、派手に遊び、高額な買い物をする。寺社への寄進も惜しまない。
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