男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

紀伊国屋文左衛門〜一世一代の大バクチ

みかんをタダでもらえるなら今でも嬉しいかもね。冬になるとコタツにみかんは欠かせないもんね。

でもね、当時のみかんというのは今の温州みかんと違って、原種に近いモノなんだ。だからせいぜい直径5センチぐらいで、種があって甘味が強い。明治初期ぐらいまでは、みかんといえばそんなミニサイズだったんだ。このみかんは今でも鹿児島の名産として「桜島小みかん」という名前で売られている。

5センチぐらいっていうと、お正月の供え餅に乗せる葉付きみかんのサイズね。でも、当時は甘いモノがなかったから、きっと子供は喜んだでしょうね。

紀文が故郷の危機を聞いた時には、鞴祭りまであと10日余りしかなかった。そこで「オレがやらねば誰がやる。今こそ故郷に恩返しだ」と言ったかどうかは知らないけど、考える間もなく即行動に出るんだな。まずは一路、故郷に向かった。到着すると、すぐに船の調達だ。船主を説得して何とかボロ船を譲ってもらうことになったんだけど、買い取りが条件だった。

まだ成功していない紀文さんだから、当然お金は持ってないわよね。

なんとか船を買う金は都合したけど、今度はみかんを仕入れる金がない。そこで紀文は妻の実家に泣きついた。紀文の舅は藤並河内守という藤並神社の神官で、娘婿のためならと、快くみかん代を貸してくれた。そうなると残るは船頭だ。手当は3倍出すという条件と、命を賭けるという紀文の心意気に負けて、海の男達も荒波をくぐり抜ける覚悟を決める。

若きベンチャー企業家

うわ〜、だんだん話が盛り上がってきたわね。男臭さムンムンだわ。

出発の日、下津港にはみかんの籠が山のように積まれていた。紀文は白装束に三角頭巾という決死のいでたちで、防水用の松ヤニを船底に大量に塗り込むと、積めるだけのみかんを積んで出港した。

そこまで来たら、やっぱり嵐にならなきゃウソでしょ。


そりゃそうだ。凪のままで順風満帆、江戸に着きましたじゃドラマにならないからね。当然、遠州灘で激しい暴風雨に襲われ、紀文達は必死に祈りながら船にしがみつく。波はどんどん高く激しくなり、みかん船は木の葉のように舞うばかり。神の御加護も通じず、全員海の藻屑と消えたかと思った刹那、気がつけば嵐は止み、遠くにうっすらと港の灯が見えた。

それはないでしょう。話が出来すぎ。それで、船はどこに着いたの?

イヤだねぇ、その醒めた反応。到着地には諸説あって、浄瑠璃なんかでは浦賀ということになっているけど、現実的には下田、館山あたりではないかということだ。この話は後年、浪曲や講談なんかで盛んに脚色されて、紀文の恋物語も絡んでなかなかドラマチックな展開になっているんだけど、まぁ、一言で言えば若者が危ない橋を渡って商品を運び、一儲けしましたという成功ストーリーだな。

紀文さんはみかんでどのくらい儲けたのかな?

これもまた諸説あって具体的にどうとは言い切れないんだけど、通説では1200両で仕入れた7000籠のみかんが江戸で30倍の3万6000両になったという話だ。しかし実際のところ、当時の一般的な廻船が積める量はせいぜい200石から300石。最大の300石としても、1石=150キロとして最大45トン。みかんが一籠約15キロということだから紀文が積めるだけ積んだとしても3000籠ぐらいということになる。

でも、もっと大きな船だったかもしれないじゃない。


当時は幕府によって大型船の建造が規制されていたから、それはあり得ない。で、当時のみかん2籠の相場が1両だったそうだから、通常の売り上げだったら3000籠で1500両ということになる。30倍になったという話はちょっと眉唾だから、4〜5倍に高騰したと考えても6〜7000両、元禄期の1両は今の価値で10万円程度ということだから、仕入れ値や諸経費をを差し引いても数億円規模の利益ということになる。

みかん運ぶだけで数億なんて、今じゃちょっと信じられない話よね。

まぁ、「みかん船」が史実だとしても、それだけで紀文が巨万の材を為したとは考えにくい。その資金と名声を元手に材木問屋を始めて、江戸の好景気に乗って急成長したと考えるのが自然だろうね。
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