男一匹、夢に賭ける にっぽん豪商列伝

紀伊国屋文左衛門〜一世一代の大バクチ

其の壱 「みかん船」伝説

「にっぽん豪商列伝」の第1回目は『紀伊国屋文左衛門』っていうことなんですけど、「きのくにや」さんって言えば本屋さんかスーパーだと思うんですけど、もしかしてそのルーツとか?

書店は「紀伊國屋」で、スーパーは「紀ノ国屋」。ちょっとずつ字が違うんだな。文左衛門はそのどちらとも無関係だ。そもそも紀伊国屋っていうのは越後屋とか近江屋と同じで、多くは地方から江戸に出てきた商人の出身地を表す屋号だな。だから「紀伊国屋文左衛門」とは紀州から来た商人の文左衛門さんという意味だ。彼は大商人だったけど、江戸の庶民には「紀文」とか「紀文大尽」なんて呼ばれてなかなかの人気者だった。

あ〜、そうかわかった。カマボコの「紀文」かぁ。それで出世して大臣にまでなったわけね。

江戸時代に大臣はないだろ。その大臣じゃなくて大尽、つまり大金持ちという意味だ。それにキミが言ってる紀文食品は確かに練り物で有名だけど、創業者は山形の人で、こちらも文左衛門とは縁もゆかりもない。

本屋さんでもスーパーでもカマボコ屋さんでもなかったら、紀文さんはいったい何でそんなにお金持ちになったの?

基本は材木問屋ですよ。紀文が活躍したのは元禄時代。将軍綱吉の時代だ。「時代劇のヒーローたち」で何度も説明したと思うけど、元禄8年(1695)、勘定奉行・荻原重秀の建議によって貨幣の改鋳が行われ、これで幕府は1000万両もの荒稼ぎをした。今のお金に換算すればざっと1兆〜2兆円。

ああ、思い出したわ。「元禄バブル」ね。おかげで公共事業がたくさん発注されて建築ラッシュになったっていう…。

そう。湯島の聖堂に護国寺、持統院、京都の諸寺。それに家光時代から続く上野寛永寺や日光東照宮のメンテナンスね。加えて明暦の大火以降にも江戸では大小の火災が頻発していたから、寺社や家が燃える度に移転や再建が必要になる。だから材木問屋は、この時代最も金を稼げる商売のひとつだった。

なぜか庶民に人気

でも、材木屋さんっていっても紀文さんだけじゃないでしょ。その気になれば誰だってできる商売じゃない?

まぁ、その通りなんだけど、巨大な公共事業を請け負えるのは現代でもゼネコンだけだろ。長い工期の間に膨大な発注をスムーズに処理し、支払いができるだけの資本力が必要だ。だから必然的に大型の公共事業は大商人の仕事ということになる。

なんかフェアじゃない感じがするなぁ。もしかして、江戸時代から談合があったりして…。

談合の歴史は結構古いんだよ。そもそも入札制度というのは16世紀末、江戸時代以前からあったんだ。徳川幕府は当初「天下普請」と称して諸国の大名を江戸の都市整備に駆り出していた。この裏には諸藩の財力を削ぐという目的があるから、とにかく金がかかる。だから殆どの工事はギリギリの予算で業者に丸投げということになる。資金力のない中小の業者がこれを受けようとすると、必然的に談合して入札価格を下げずに、互いに仕事を回していこうということになるわけだ。

談合っていうと聞こえが悪いけど、助け合いってことなのね。


一応、幕府からは寛文4年(1661)に禁止令が出るんだけど、それはあくまでタテマエであって、公共事業の談合は通例化して、現在に至るというわけだな。その点、幕府から直接発注される事業は、発注価格に制限はないし、時の権力者による官製談合も当然あるわけだ。

じゃあ、紀文さんたちみたいな大商人ははそういう裏の手を使って受注していたっていうこと? 時代劇の「お主もワルよのう〜」みたいな世界ね。

その通り。いわゆる「御用商人」だった紀文は、側用人の柳沢吉保とか荻原重秀に盛んに賄賂を贈っていたようだからね。でも、そんな紀文が庶民に人気があったっていうのは、ちょっと不思議な気がしないかい?

そういえばそうねぇ。将軍綱吉も柳沢吉保も、庶民には人気がなかったって、前に蔵三さんが言ってたわよねぇ。紀文さんはその仲間なのに、ひとりだけ人気があったっていうのはちょっと変よねぇ。

「紀伊国屋 みかんのやうに 金をまき」なんて川柳があるけど、昭和初期ぐらいまでは、紀文と言えば「みかん船」、「みかん船」と言えば紀文というくらい有名だった伝説がある。実は紀文人気の謎を解く鍵は、この「みかん船」のエピソードにあるんだ。
<2ページ目に続く>