虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

遠山金四郎(後編)〜誰も知らなかった桜吹雪

でも、矢部さんは水野さんに抜擢されて町奉行になったんでしょ。まずいんじゃないの?

大胆な改革を進めるには、橋下市長じゃないけど、ある程度の独裁体制が必要だ。そして独裁を進めるには、自身の派閥を重用するのが常道。ところが、水野という人は人事に関しては実力主義なんだな。そこがこの人のユニークなところでもある。

矢部さんはどういうところを評価されたのかな?


実を言うと、矢部の抜擢に関しては、実力以外に裏事情もあるんだ。これは後で話すとして、まず第一に矢部が大坂西町奉行の時に米価を調整して、飢饉に苦しむ民衆のために尽力したという実績がある。この時には元与力・大塩平八郎の意見を取り入れているんだ。現役ならいざ知らず、退職者の、しかも御家人の意見を聞くあたりに、矢部の人柄が偲ばれるね。矢部は勘定奉行時代に、反乱を起こした大塩を擁護しているぐらいだから、どっかの政党じゃないけど「市民の生活が第一」という哲学を持っていた人だと思うよ。

う〜ん…。今の時代にいて欲しい人よね。経済のプロだし、人物も立派そうだし…。

しかも政治的圧力に屈しないんだな。矢部が株仲間の解散に反対した理由は、藤田東湖の『見聞偶筆』に残されているんだ。要は、株仲間というシステムが問題なのではなく、管理する幕府側に問題がある。そもそも、度重なる貨幣改鋳による通貨不信がインフレの根源であり、問屋の独占による物流費の上乗せ構造がそれに拍車をかけているということ。だから、独占市場を問題視しているという点では水野と同じなんだけど、今株仲間を解散させるのは時期尚早であり、むしろ株仲間をうまく使って、物価を幕府側でコントロールするのが先というのが矢部の考え方だったんだ。

詳しいことはよくわからないけど、かなり幕府批判も含まれている感じがするわね。

水野と違って経済の実態を知っているからね。規制緩和による自由経済が理想ではあるけど、すぐにそれを受け入れられるほど市場経済は成熟していないという、実にリアリティのある意見だ。何となく、郵政民営化のドタバタを思い出すだろ。

でも、結局、株仲間の解散を発令したのは金さんでしょ。反対していた矢部さんはどうしちゃったの?

お母さんが病気だから看病したいということで、公務を26日間休んだ。実際のところは、休んだ最初の日にお母さんは亡くなっていたから、あからさまなサボタージュだ。だから結果的に、いやでも景元が発令するしかなかったわけ。

うそ〜、サボタージュって…。そういう手もあるのね。でも、金さんにとっては迷惑な話よね。

仕事量が倍になったからね。矢部のようにサボタージュしても筋を通すか、遠山景元のように清濁飲み込んで職務を全うするか、評価の分かれるところだろうね。しかし、水野に対する矢部の抵抗はこれだけじゃなかったんだ。

水野さんって、当時の最高権力者なんでしょ? 矢部さん、よくやるわね。

迷走する改革

その話をする前に、他の水野の重要政策についても簡単に説明しておこう。まず「貸金無利息年賦返済令」。これは札差が旗本や御家人に貸した未返済の債権は全て無利子、元金の返済は原則20年払い、収入に対して借金比率の高い場合は、さらに軽減するという、借金漬けの武士の救済策だ。

お侍さんにとって、すごく都合のいい法律だってことはわかるわね。ところで、札差って何?

武士の給料はお米で支給される。これを蔵米とか俸禄米という。武士は支給日にお米を受け取ると、ここから自分たちが食べる分を引いて、残った分を米問屋に売ってお金にする。札差はこの一連の流れを代行して手数料を得るのが本来の仕事。それが発展して、だんだん蔵米を抵当にお金を貸す事が本業になっていったんだ。

今でいうキャッシングサービスね。でも、利息がつかないなんて、札差の人たちにとっては酷い話よね。

ここ数年、グレーゾーン金利の撤廃で、消費者金融各社が過払い訴訟で経営難になっただろ。この時もあれと似たような展開になったんだ。貸す側は貸し出しをストップして、元金の回収しかしなくなった。まぁ、企業防衛策としては当然だよね。しかし、そうなると借金を借金して返してきた自転車操業の借り手は、借りる先がなくなって困ってしまう。

貸し渋りかぁ。それで、ヤミ金が流行ったりしたのよね。なんだか今と変わらないわね。

それで、困った幕府は札差に低利で資金注入して、何とか貸し渋りを解消してもらった。これも最近の中小企業対策と変わらないけどね。
<2ページ目に続く>