続・虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

荒木又右衛門〜決闘のリアリズム

其の四 又右衛門、動く

肚が決まったって、何がどんな風に決まったの?

そうなるとこれは主命だから、仇討ではなくて「上意討ち」ということになる。忠雄の死後、池田家はわずか3歳の光仲が跡を継いで鳥取に国替えになるんだけど、数馬は脱藩して再び又右衛門を訪ねる。その背景には、池田家の家老・荒尾志摩の密命があったのではないかと思われるんだけど、又右衛門は、上意討ちなら筋が通る、ということで今度は快諾する。

いよいよ又右衛門さんが動いたのね。でも、その頃又五郎さんはどうしてたの?

江戸を追放されてから旗本一派の指示で一時大阪へ、その後広島に潜伏していたということだ。又右衛門が助太刀に立ったと同じ頃、又五郎の叔父・甚左衛門と、又五郎の妹婿にあたる桜井半兵衛も職を辞して又五郎保護に動き始めた。この半兵衛というのは摂津尼崎藩の槍術指南役で、霞の半兵衛と言われた槍の使い手だ。

あ〜。結局、甚左衛門さんは甥の不始末に関わることになっちゃったのね。

そこは悩んだと思うよ。そもそも悪いのは甥の又五郎の方だし、友人の又右衛門とは敵対したくなかったはずだ。でも、それでは又五郎をかくまってくれた旗本連中に義理が立たない。亡くなった健さんじゃないが「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界〜♪」ってなことだな。

見えざる力

そこで歌わないでくださいよ、音痴なんだから。健さんのイメージも狂っちゃうし。

しかし、又右衛門にしてみれば甚左衛門と半兵衛の動きを押さえていれば、必ず又五郎の動きがつかめることになる。又右衛門チームは数馬に加えて又右衛門の門弟・岩本孫右衛門、川合武右衛門の4人だ。少数精鋭と言えば聞こえがいいけど、このチーム、又右衛門以外は特に腕が立つとは言えないし、又五郎の居場所を探る諜報戦でも、いかんせん人数が足りない。

確かに、今みたいにインターネットどころか電話もない時代に、逃げ回っているたった一人を探すっていうのは至難の業よね。

だから、又右衛門チームが又五郎一行をつかまえるまで1年近くを費やしている。それでも結果として又五郎一行の動きをつかめたのは、池田家の秘かなバックアップと、旗本の横暴に憤慨した全国の大名ネットワークの力があったんじゃないかと思う。第一、又右衛門がすんなり大和郡山藩の職を辞められたのも、藩主・松平忠明が家康の養子で、亡くなった池田忠雄が家康の孫という“家康つながり”の関係があったと思うし、池田家や数馬に対する大名からの同情や理解も大きかったと思うんだ。

確かに、又右衛門さんたちは無職になったんだもんね。その分生活費だって必要になるし。

その辺は講談なんかでは触れられない部分だけど、例えば騒動の元になった又五郎の父・半左衛門が徳島へ移送される途中で亡くなっているんだ。表向きは病死だけど、実際には争いの渦中に巻き込まれるのを避けるため、誰かに殺害されたのではないかという説もある。この時点で又右衛門側も又五郎側も全員が浪人になっているから、表向きには“私闘”なんだけど、実際にはその背後に、何か「見えざる力」が働いていたように思えるんだな。

相手は11人

だんだん面白くなってきたわね。それで、又右衛門さんはどうやって又五郎さんを見つけたの?

又右衛門は又五郎の潜伏先を大阪か京都と睨んでいたようなんだけど、実際には“灯台下暗し”で、すぐ近くの奈良、しかも旧郡山藩士の屋敷に匿われていた。やがて忍び寄る危険を察知した又五郎は、再び江戸へ出て、旗本の庇護を受けたほうが得策と考える。そこで、伊賀路を抜けて伊勢から舟で江戸へ向かおうとするんだな。

それでこの話が「伊賀越」って言われるようになったのね。


又右衛門はその情報を得てから、又五郎一行が必ず通るであろうルートを検証し、鍵屋の辻を決戦の場に決めた。なにせこの界隈は又右衛門の生まれ故郷だからね。土地勘がある分有利だ。

でも、又五郎さんの一行には強〜い叔父さんや妹婿さんも一緒なんでしょ。

総勢11人だけど信頼に足る戦力は甚左衛門、半兵衛の2名。あとは中間、草履取りといった小者だから、戦力としては未知数だった。又五郎、甚左衛門、半兵衛は鎖帷子なんかを着込んで、常時臨戦態勢で馬で移動。一方の又右衛門は、偵察に出した門弟が探りだした又五郎一行の動きから、決戦の日時を11月7日の早朝と見て、先回りして待ちぶせする作戦をとった。
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