虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

宮本武蔵(後編)〜遅れてきた兵法者

其の五 兵法家の論理

ん? どういう意味?



30歳を過ぎて過去を振り返ってみると、自分が勝ち続けてこれたのは、自然と兵法の道理に従ったせいなのか、あるいは、他流の兵法に欠陥があったからか、いずれにせよ自分が兵法を極めたからというわけではない。その後深い道理を得ようとして、朝夕鍛練してきたが、結局、兵法の道にやっと適うようになったのは、五十歳の頃だった。

何だぁ〜、50歳になってやっとわかってきたなんて、武蔵って謙虚な人じゃない。


うん。実戦でいくら勝てたからって、自分が求める道を極めたことにはならないってことだよね。


じゃあ、武蔵の求めた道って何だったのかな。



兵法ですよ。何度も繰り返すようだけど、武蔵は剣術家である以前に兵法家なんだ。戦闘というのはいついかなる場面で起こるかわからない。場合によっては飛び道具を使われたり、刀を使えない状況だってあるだろう。例えば、突然目の前に十人の屈強な男が現れて襲ってきたら、どうするか。

武蔵ぐらい強かったら、十人ぐらいあっという間に斬り倒しちゃうでしょ。


やっぱりキミは時代劇に毒されてるね。武蔵ならたぶん、逃げるだろうね。


逃げる? 天下の宮本武蔵がそんなみっともないことするわけないじゃない。


日本刀はどんな名匠が鍛錬した業物であっても、一人斬っただけで脂がつくし、刃こぼれもするから、すぐに斬れなくなる。実戦を重ねてきた武蔵なら当然知っているはずだし、特別戦わなきゃならない理由でもなかったら、まず逃げるが勝ち。まぁ、そういうことだ。

ますます武蔵がわからなくなってくるなぁ。



それが兵法だよ。兵法には退却という手段もある。武蔵自身は逃げたとも逃げろとも言ってないけど、勝てる相手だったら戦い、勝ち目がないと思ったら逃げる。降参はむしろ死につながるから、できれば逃げたほうがいい。もっと言えば、重い刀をわざわざ二本差してるんだから、両方使った方がいい。これが二刀流の理由。約束の時間に遅れれば、相手は心を乱されるし、疲れてくる。相手の刀が長ければ、更に長い木刀を使ったほうがリーチで有利になる。太陽を背にしたほうが相手の目が見えにくくなるし、足を取られやすい砂浜よりも、波打ち際のほうが動きやすい。

“職人”武蔵

それって、巌流島の決闘のことよね。卑怯といえば卑怯かもしれないけど、スポーツじゃないから、守らなきゃならない厳密なルールがあったわけでもないんでしょ?

そう。不意打ちであろうとなんだろうと勝つことが第一。それが兵法だ。卑怯者と言われたって死んだらオシマイだろ。戦争の場合、負ければ国が滅びる。要するに、武蔵はどうやったら実戦で必ず勝てるか、或いは生き残れるかというテーマに特化して自分を追い込み、命懸けで試してきた人なんだと思う。普通ならそれを突き詰めていくと「戦わずして勝つ」ということが理想になるはずだし、柳生宗矩はそれを平和な時代の政治手法として活かそうと考えたようだけど、武蔵はあくまで実戦を想定し、実戦にこだわった。そこが後世になって評価の別れるところなんだな。

確かに、戦わないのは理想だけど、世界中で戦争がなくなったことなんて未だにないものね。


『五輪書』には「兵法の道、大工にたとへたる事」という箇所がある。兵法の心得を職人仕事に例えているんだな。こんなユニークな発想ができるのも武蔵の面白いところなんだけど、職人は一生勉強だって言うだろ。毎日毎日実践して勘を研ぎ澄ませても、まだまだ到達できない先がある。武蔵はあくまで実用品としての刀の活かし方を追求した“職人”だったと考えれば割と理解しやすいかもね。

う〜ん、わかったようなわからないような…。結局『五輪書』ってどんなことが書かれてるの?


こちらのブログに、とても優しい現代語で書かれているから読んでみるといいよ。大抵の人は難しい精神論なんかが書かれていると誤解してるけど、意外なほどシンプルだし、具体的なノウハウが細かく書かれていて驚くと思うよ。でもね、本質的な部分ではやっぱり「職人」なんだな。「勘とか呼吸とか、そういうことを言葉で説明するのは難しい。やってみればだんだんわかってくるよ。とにかく毎日工夫したり鍛錬しないことにはねぇ…」ってな感じのニュアンスが伝わってくるんだ。
<6ページ目に続く>