虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

宮本武蔵(後編)〜遅れてきた兵法者

其の四 時代は変わる

でも、刀を使わないって想像つかないなぁ。合戦って言うと、みんなで刀を一斉に抜いて、振り回してわーって突進するイメージなんだけど…。

そんなことしたら危なくてしょうがないだろ。歩兵が刀を抜いて移動するときは、切れない方を肩にかけて、味方を傷つけないようにするわけ。それに、当時は走るって言っても現代人みたいに腰をひねって両手両足を交互に振るわけじゃない。腕はほとんど振らないのが普通で、振ったとしても右手と右足、左手と左足を同時に出す「ナンバ走り」だ。

ギャハハハ! なにそれ! 変なの!



とにかく、時代劇というのを一旦頭から消さないと、当時のことは本当には理解できないんだよ。相手の大将を殺すって言ったって、ただ殺せばいいってもんじゃない。顔を傷つけてしまうと首実検の時に誰だかわからなくなって恩賞がもらえないだろ。それに、一人の首を取ったからって、そこで合戦が終わるわけじゃないから、討ち取った相手の数だけ、重い首を何個もぶらさげて移動しなきゃならない。前田利家なんか、そういうことを繰り返して出世したわけだ。

そう考えると、昔の武将って超人的よね。



だから単に殺人術に長けているというか、戦場での強さを競うなら、軽装で前線に出て連戦連勝だった上杉謙信とか、関が原でのあまりの強さに徳川方の兵士がトラウマになった島左近とか、家康を震え上がらせた真田幸村なんかの方が、同時代に剣豪とか達人とか呼ばれた剣術家よりも優れていたかもしれない。

まぁ、そうかもしれないけど、そんなこと言ったら宮本武蔵の立場がないじゃない。


そこだよ。日本刀を使っての一対一の勝負ならともかく、武蔵が戦場で強かったという証拠は何一つない。むしろ、島原の乱に出陣した際に、一揆軍の投げた石に当たって怪我をしたという不名誉な記録が、武蔵自身の手紙からわかっている。そもそも、剣術は合戦ではあまり役に立たないことを自分で良くわかっていたフシすらあるんだ。

それじゃあ、武蔵の存在意義ってなくなっちゃうでしょ。そんな人をどうして大名が大切に扱ったりしたの?


江戸時代に入ると、合戦というものが無くなる。さっき言った島原の乱で実質的な終止符が打たれるんだ。そうなると、日常的には槍も鉄砲も不要になって、むしろ護身用としての日本刀の方が実用性を増す。そうなると刀も耐久性より切れ味が重要になるし、集団戦より一対一の斬り合いを想定するようにもなる。

ははぁ〜、そこで60戦無敗の“剣豪”武蔵がブレイクするってわけね。


そう考えるのはまだ早い。徳川幕府が目指したのは戦争のない平和社会だ。従って理想を言えば槍も鉄砲も刀も無い方がいい。しかし、士農工商という身分制度を維持していくためには支配階級として軍事力の誇示や威厳が必要になるし、帯刀は平安時代、武士誕生以来のアイデンティティの象徴だ。これを無視しては武士そのものの存在感を失う。だから幕府は帯刀を制度化し、改正武家諸法度でいわゆる大小の“二本差し”を正式に採用する。

刀の形骸化

武器としてより、武士のユニフォームというかスタイルとしての刀が大切になってきたのね。


そればかりじゃないよ。殺人の道具としての刀から精神性の象徴としての刀に変わっていくんだ。それを理論化したのがさっき出てきた柳生宗矩だな。「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い活かすための手段となる」という「活人剣」を提唱し、剣術の稽古で心身を鍛錬することにより己の精神を高めるという、現代のスポーツに通じる哲学を唱えたんだな。

でも、剣術の稽古って言っても真剣を使ったら危ないでしょ。その頃から竹刀とか使ってたの?


そう。竹刀の原型は江戸時代以前からある。時代劇の町道場でよく木刀を使ってるけど、木刀と言えど打ちどころが悪いと大怪我をしたり死ぬこともあるからね。素振りには木刀を使うけど、それ以外に使うとしたら、もっぱら“型”を教える時だ。

っていうことは、木刀どころか、ほとんど真剣なんか使わなかったってことじゃない。


事実を言えばその通り。刀は核兵器と同じで、示威能力さえあれば抜かないに越したことはない。居合とか鑑賞とか趣味的な実用性はあったにせよ、よく言われる「斬捨て御免」なんてのは嘘で、いくら武士でも理由もなく人を斬ったら犯罪者になる。だから、三代将軍家光の時に幕藩体制が盤石になり、五代・綱吉の時代に武断政治から文治政治に移行してからは、日本刀はどんどん形骸化していったわけ。
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