虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

宮本武蔵(後編)〜遅れてきた兵法者

あらら、じゃあ、何をやってたの?



“吉川武蔵”では、武蔵は豊臣方の雑兵として参戦して九死に一生を得る、という設定なんだけど黒田官兵衛・長政親子は徳川方だからねぇ。もし長政の軍に所属していれば関ヶ原でもかなりの激戦を強いられたかもしれないけど、官兵衛の軍であれば九州にいたはずだ。

じゃあ、関ヶ原にはいなかった可能性もあるってこと?



その可能性の方が高いね。但し、14年後の大坂の陣では、水野勝成の客分として勝成の嫡子・勝重をサポートしたっていう複数の記録があるから大坂の陣の時は徳川方にいたというのは間違いないだろう。でもねぇ、実戦で活躍したかどうかはちょっと疑問が残る。

え〜、記録がどうかは知らないけど、凄く武蔵って強かったんでしょ。どうしてそこで疑問を持つのよ。


そもそも武蔵の父、無二(無二斎とも)は当理流という十手とか手裏剣なんかも使う総合武術の使い手だった。武蔵が十手や手裏剣を使ったという確証はないけど、その後の武蔵が刀で身を立てたことを考えると、やはり手にしていたのは刀だったと思われる。ところが、この時代に戦場で刀というのはほとんど役に立たなかった。

役に立たないってどういうこと? 刀じゃなかったら何で戦うのよ。


刀を使うのは、倒れた相手の首を斬る時と、足軽のような軽装の敵と接近戦を行う場合に限られる。少なくとも鎧兜で完全武装した武将に、刀で致命傷を負わせるのは至難の技だ。

でも、テレビの時代劇だと武将同士が刀で斬り合ったりしてるじゃない。


あれは大嘘だ。緒戦で役に立つのは鉄砲と弓、肉弾戦になったらもっぱら槍を使う。刀は槍を失ったり、白兵戦になった時の最終手段だ。だいたい馬の上から刀を振り回したって、馬の下から刀を突き出したって、そうそう届きやしないだろ。

そうかな〜、だってテレビでやってた川中島の合戦だって、上杉謙信が刀で武田信玄に斬りつけるのがクライマックスじゃん。


だからさ〜、あれもほとんどフィクションだと思った方がいい。謙信が得意とした武器は十文字槍だ。彼ほどの武将になれば馬に乗っても片手で扱えたはずだからね。もし信玄が丸腰で床几なんかに座ってたら一突きでオシマイだよ。大坂の陣で家康の本陣まで迫った真田信繁(幸村)が使ったのも十文字槍だ。まずは槍で相手を倒し、刀で首を取る。これが常識。

日本刀の限界

そうかぁ。じゃあ、武蔵が刀を抜いて大活躍したってわけじゃないのね。


一般に言う日本刀というのは、薄い片刃でカミソリのような切れ味が身上だけど、その分耐久性に乏しい。だから古くから合戦に用いられた刀は長く肉厚で、斬るというより鎧の上から殴るという感覚だった。これがいわゆる「太刀」だ。武蔵の場合、大坂の陣では5.5メートルもの大きな木刀をブン回して敵をふっ飛ばしたという記述が残っているけど、そのほうがむしろ実戦的だ。

木刀で殴ったの? なんかイメージ狂っちゃうなぁ〜。



もし時代劇のように刀を使って一撃で相手を殺傷するとしたら、心臓を突くか頸動脈を狙う、つまり斬るなら袈裟斬りしか無いわけ。敵味方入り乱れての戦闘中に、相手の首筋だけを狙って斬るなんてのは無理な相談だ。これをやってのけたという公式記録は、大坂の陣での柳生宗矩の7人斬りだけだ。

すご〜い! でも、それって本当の話?



天王山で家康と秀忠の陣が攻め込まれたのは事実だけど、秀忠の目の前で7人を一瞬で斬り伏せたというのはかなり脚色されてると思った方がいいだろうね。相手が軽装の足軽や雑兵であればありえない話ではないと思うけど、まぁ将軍家の指南役はそれくらい強いんだぞって言いたかったんじゃないかな。この宗矩についてはまた次の機会に話そう。
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