虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

宮本武蔵〜遅れてきた兵法者

そのことと小説の宮本武蔵と、どう関係があるの?



戦争とは、端的に言えば殺し合いだ。しかし、人殺しはどこの国でもどの民族にとっても罪悪だ。その罪悪を「国家のため」として容認するところに矛盾が生まれる。だからこの時代の青年達は殺し合うことや、命を捨てることに何らかの意義や価値を求めようとした。

そうか〜、なんか悲しい話よね。



小説の中で武蔵が追求したのも命を賭けて闘うことの意義であり、そうやって自分を追い込まない限り得ることの出来ない悟りのようなものだ。作中、「一乗下り松」の決闘で武蔵は吉岡方の名目上の大将であった少年を真っ先に斬り殺す。この行為は戦略上は正しいけど、人道には外れている。そのことがトラウマとなって悩み続けるわけだけど、この心情は当時の若い兵隊達に重なる。

ははぁ、だから若い読者のハートをつかんだのね。



最終的には、武蔵は無の境地を得て生涯最大のライバル、小次郎と対峙する。技量は武蔵より上でも、自我というものを捨てきれなかった小次郎は武蔵に敗れる。小説はそういう終わり方だ。兵士達が自我を捨て、無の境地に至れば、戦場にあっても何も恐れることはない。いつ死ぬかわからない世界にいた兵士達とって、武蔵の生き方は心の拠り所になったわけ。

そう考えると、凄く複雑な気分になるわね。吉川英治がそういう事を意図して書いたなら別だけど。


吉川英治の作った武蔵像が、うまく利用されてしまったと言えなくもないね。別に軍部が読むことを奨励したわけじゃないけど、結果的にそうなってしまった。ただ、誤解を避けるために言うならば、小説では武蔵は小次郎と闘う前に、争いを避ける勇気というものを学ぶんだ。卑怯と罵られても「逃げるが勝ち」と言えるまでに成長する。だから命のやり取りは小次郎との闘いが最後になるし、敢えてトドメもささない。

そうかぁ。でも戦場に行ったらそんなこと言ってられないものねぇ。


だから、戦後になって作られた内田吐夢の映画では、小次郎に勝ったあと、武蔵が過去の凄惨な闘いを振り返りながら心中を吐露する場面がラストシーンになっている。己の精神を剣に託し、どこまで高めることができるのか追求してきた10年。しかし、最強の相手に勝っても心は空虚でしかない。血で汚れた自分の手を見つめながら「所詮、剣は武器か!」と言って木剣を海に投げ捨てる。

結局、闘いでは何も得られなかったっていうこと? それも大胆な解釈ね。


というか、それが戦後日本人の素直な心情だったと思うよ。どんな理屈をこねても暴力で得られるものは何も無い。戦争はもう懲り懲りだっていう…。

まるでRPG?

平和な日本に生きてる今の若者はどんな気持ちで『宮本武蔵』を読むのかな。ワタシもちゃんと読んでみよう。


武蔵がどんどん強豪とぶつかって行く様は今風に言うならロールプレイングゲームだな。そういう意味で純粋なエンターテインメントとしても十分楽しめるからね。特にお通さんとの絶妙なすれ違いなんか、読者の歯ぎしりまで計算しているようで、まさに名人芸だ。それに、この時代の作家は大衆作家と言っても、素晴らしい美文を書くからね。ケータイ小説なんかと違って格調が高い。

ますます読んでみたくなったなぁ。



ただし、くれぐれもそれが宮本武蔵について書かれた歴史的真実と誤解しないようにね。生前、吉川英治もその事を危惧していた。いざ書こうと思っていろいろ調べたら、わからない事だらけだったらしい。だから殆どのエピソードを想像で書かなければならなかった。逆に言えば、それだけ作者の自由度が高かったから吉川英治の『宮本武蔵』は名作になり得たとも言える。

それじゃあ、歴史上の人物としての武蔵はどんな人だったのかな。



後編ではそれを探っていこう。だから小説のことは1回頭から切り離しておかないとね。
<後編に続く>