虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

宮本武蔵〜遅れてきた兵法者

でも、武蔵を描いた小説って、吉川英治が書く以前にはなかったの?


武蔵は前回取り上げた大岡越前が活躍した時代、つまり江戸時代中期に、歌舞伎や講談に出てくる登場人物として有名になる。しかも内容は若き武芸者が憎き父の仇、厳流を討ち果たすという仇討ちものだった。名前も「無三四」とか「武三四」で、史実とはほど遠い創作だ。

そもそも武蔵って、いつ頃の時代の人なの?



武蔵自身が寛永20年(1643)に書いた『五輪書』に、「歳つもりて六十」と記されているから、逆算すると秀吉が天下統一にあと一歩と迫った天正12年(1584)の生まれ。没年月日は正確に記録されていて、3代将軍家光の治世だった正保2年(1645)。時代で言えば、安土桃山時代から江戸時代初期に生きた人ということになるね。

そういえば『五輪書』って凄く有名よね。何が書かれているの?



自分の編み出した兵法について書かれた5巻の巻物だけど、まぁ簡単に言えば真剣勝負に関するノウハウ本だな。集団戦闘に関する兵法書は数多くあるけど、個人戦での兵法書というのはかなり珍しい。内容については後編で詳しく説明するけど、興味深い点は、自身の経験の詳細、例えば武蔵の代名詞にもなっている『巌流島の決闘』についても、一言も書かれていないということだ。

え〜、信じられない。だって、武蔵って巌流島以外に何があるのよ。


『五輪書』には、13歳で初めて勝負に勝って以来、28、9歳までの間60数度試合をして一度も負けなかったと書いてある。武蔵自身が語った略歴というのはその程度で、実に簡単なものなんだ。そもそも『五輪書』は自伝じゃないから仕方ないんだけど。さらに問題なのは“宮本武蔵”ではなくて、“新免武蔵守藤原玄信”と名乗っている点だ。

じゃあ、本当は“宮本武蔵”じゃないってこと?



手紙なんかには“宮本武蔵玄信”と書いてあるから、間違いではないだろうけど、いつ頃から「宮本姓」を名乗ったのか、普段どう名乗っていたのかはよくわからない。これはほんの一例で、武蔵という人物は、知名度の高さに反比例して、実像に関してはわからないことだらけなんだ。

でも、闘った相手とかはわかってるんでしょ。そっち側の資料とか残ってるんじゃないの?


その相手側の資料というのも殆ど無いんだよ。佐々木小次郎にしたって、厳流(岩流)という号については多くの資料に出てくるけど、佐々木という姓も小次郎という名前も、前に話した「無三四」みたいに伝承や芝居の中で作られた可能性が高い。巌流島(舟島)の決闘についても、時期や結果について諸説あってこれだという確証はない。

ゲ〜、じゃあ、どうして武蔵、小次郎の巌流島の決闘っていうのを、ワタシみたいな歴史オンチでも知ってるのよ。みんな嘘だったら知ってるはずないじゃん。

問題はそこだね。誰でも知っている巌流島の決闘は、武蔵の養子であった宮本伊織の顕彰碑文と、後世に書かれた『武公伝』『二天記』といった武蔵の伝記をもとに吉川英治が創作したもので、あくまでフィクションなんだ。

それじゃあ、フィクションが歴史的事実みたいになってるって事?そんなことってあり得るのかなぁ。


直木VS菊池

さっきも言った通り“フィクションの一人歩き”が武蔵研究の弊害になっているんだな。武蔵は生涯、大名に仕官しなかった。つまり“公人”ではなく“私人”を貫いた。だから立ち会いは全て“私闘”であって、記録がないのも当然だ。言い換えれば記録がないのに日本一強いと評された剣豪ということになる。その辺の矛盾点を最初に指摘したのが、直木賞で有名な作家の直木三十五だ。

昔から疑問だったんだけど、芥川龍之介の芥川賞はわかるけど、直木賞の直木三十五って何者?


そこから説明させられるのかい。直木三十五は大正から昭和初期にかけて活躍した大衆作家で、映画の原作やシナリオもたくさん書いている。『南国太平記』という代表作を読めば、彼が歴史小説家の先駆けだったことがわかるよ。ただ、今は殆ど出版されていないから、馴染みが薄くなってしまった。電子書籍なら読めるけどね。
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