虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

大岡忠相〜素顔の見えない名奉行

好景気って、いつまでも続かないものなのね。ワタシ達の世代はバブルを知らないから、バブル崩壊もピンとこないけど。

綱吉の政治は評価すべき点も多いけど、財政に関しては明らかに失敗だった。これを受けて、次の六代将軍家宣は綱吉時代の“負の遺産”を断ち切り、間部詮房・新井白石という強力なブレーンと共に“トロイカ体制”で財政再建を目指すんだけど…。

また失敗しちゃったの?


いや、志半ばの3年目で病死。次の家継もわずか8歳で早世する。これで家光の系統は断絶、御三家の紀州から吉宗が迎えられることになる。吉宗はすでに紀州藩主として財政再建に成果を上げていたし、目安箱のような画期的な制度もこの頃すでに実施していた。

だからみんなに期待されていたわけね。


吉宗は就任早々側近政治を廃し、親政を復活させた。ここから享保の改革が始まるわけ。中でも画期的だったのが「足高の制」だ。幕府の要職に就けば、それだけ人も使うし、事務所、つまり広い屋敷も必要になる。だからいくら優秀でも家柄が低い、禄が少ないという理由で要職に就けない者が多かった。「足高の制」は、在職中にその不足分を幕府が補うことで、世襲化した官僚制度を変えていこうというものなんだ。

その時にそういう制度ができたから、遠山の金さんや鬼平が出世できたわけね。

其の参 青年期の不運

そう。そして、今回の主役である大岡忠相こそ、この制度によって引き上げられた最初の例になるんだ。大岡家は三河以来の名門で、母は家康の妹の孫。延宝5年(1677)、何の問題もないサラブレッドとして生まれた忠相だったけど、同族の大岡忠真の養子になってから、突然、不幸が襲う。

あら、大岡さんって若い頃からエリート街道まっしぐらっていうイメージだったけど、そうでもないのね。

綱吉が将軍になって間もない元禄6年(1693)、桐間番だった忠相の長兄・忠品が綱吉の勘気を被って八丈島に流されるという事件が起きる。これで忠相の実父、忠高も責任を取る形で奈良奉行を免職となった。

お兄さんはどうして将軍を怒らせちゃったの?


原因はわからない。まぁ、それだけなら良かったんだけど、その3年後には忠相の従兄弟である御書院番士の忠英が養子を巡るいさかいから刃傷事件を起こし、自身もその家来に殺される。赤穂事件を見ても明らかなように、綱吉は血なまぐさい事件が大嫌いだったからね。大岡一門は即刻閉門になった。

忠相さんは何も悪いことしてないのについてないわね〜。


とばっちりで駿府城の城番だった養父も閉門。これはすぐに解かれたけど、元禄13年(1700)にあえなく死去。忠相は24歳の時に家督を継ぐことになった。しかし、今度は実父の忠高が、忠相の出世を見ることなく亡くなった。

若い時は不幸の連続だったのね。意外だわ〜。


ドラマでは(片岡)千恵蔵御大が演じた大岡忠高が忠相のいいアドバイザーになってたけど、史実では息子の登城すら見ることができなかった。そして元禄15年(1702)、御書院番士となった忠相は、大岡家の名誉を晴らすという悲願を背負っての出発だった。

絶対に失敗できないっていうプレッシャーが凄かったでしょうね。


この頃の忠相の仕事ぶりについて資料が残っていないから何とも言えないけど、忠相は20代で御徒頭、使番を経て、33歳の若さで目付に昇進している。実父の忠高より16年も早いスピードだ。度重なる一門の不祥事というマイナスからのスタートを考えれば、いかに忠相が優秀で努力家だったかが窺えるよね。
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