虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

大岡忠相〜素顔の見えない名奉行

ところでもう気が済んだ? テレビの『大岡越前』を、蔵三さんがいかに好きだったかは、読者の皆さんもワタシもよ〜くわかったと思いますよ。

フン、そうかい。それじゃあ実際の大岡越前、いやさ大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の話を始めようじゃないの。まず、大岡忠相って言うと、どういうイメージかな?

やっぱり「大岡裁き」っていうぐらいだから、凄く優秀な裁判官のイメージなんじゃない?

まぁ、そうだよね。忠相は最終的には大名にまで登りつめたけど、最も有名なのが町奉行時代の活躍だ。ところで、同じ町奉行だった遠山景元について以前話しただろ。その時どんな印象だった?

う〜ん。事件を解決した人っていうよりも、経済問題とか風紀の取り締まりで忙しかった人っていう感じかな。

だよね。町奉行というと、テレビや映画の時代劇ではお白洲での裁判官としての仕事がメーンみたいに見えるけど、実は司法官としての役割は、比重としてはそんなに多くない。

えっ、そうなの? 遠山の金さんは実像とかけ離れているから仕方ないとしても、大岡越前の場合は「お裁き」がすべてでしょ。それを取ったら何が残るのよ。

いや、テレビの『大岡越前』だって、第一部では時系列に沿って、町火消し、小石川養生所の創設といった行政官としての忠相をキチンと描いてはいるんだ。しかし「大岡裁き」のクライマックスとなる天一坊事件ね。ドラマでもこれを2回に分けて第一部の最終回にしているんだけど、これはちょっといただけないんだな。

天一坊事件って、その人が自分は将軍の子供だって主張したから大騒ぎになった事件でしょ。そういう大事件なら、当然、大岡越前の出番じゃないの。

ところが、現実には全く関わっていないんだ。正確な理由はわからないけど、事件の舞台になったのが南品川宿で、江戸府内ギリギリの場所だ。だから実際の捜査は地方官僚である関東郡代・伊奈忠逵が担当して、裁定は地方担当である勘定奉行・稲生正武が下している。要するに、管轄外だったということ。それに、町奉行は武家の訴訟や事件も管轄外だからね。仮に府内で起こった事件だったとしても、忠相が関わることはなかっただろうね。

な〜んだ、ガッカリ。でも、本当に何も関係なかったのかなぁ…。


評定所の議題になっていれば忠相も意見を述べたかもしれないけど、そもそも、ご落胤の可能性について聞かれた吉宗が「覚えがないわけでもない」なんて曖昧なこと言ったから、捜査が慎重になって長引いた事件だ。最終的に天一坊は将軍の名を語ったということで獄門にはなったけど、結果だけ見れば小悪党の詐欺事件に過ぎない。

じゃあ、母親を名乗る二人が子供を取り合う話は? あれもなかったの?

子供が痛がるのを見て思わず手を離した方が実の母であると裁定した話ね。だいたい、いくら江戸時代だからって、子供の腕を引っ張って取り合え、なんて言う奉行がいるわけないだろ。完全なフィクションだ。研究者によれば、旧約聖書に出てくるソロモン王の逸話が紆余曲折を経て「大岡裁き」に化けたという話だ。

「白子屋事件」の衝撃

それじゃあ、「大岡裁き」って言われているものは全部作り話だったわけ?

なぜ講談なんかで「大岡裁き」のエピソードが量産されたのか、謎と言えば謎なんだけど、それとは別に江戸の事件史の中でも、特にスキャンダラスで有名な「白子屋事件」。これは間違いなく忠相の裁定だ。主犯の白子屋お熊は、美貌の悪女として江戸っ子に大人気だったんだ。

へぇ〜、それってどういう事件だったの?


簡単に言えば、資金繰りに苦しんでいた材木問屋「白子屋」の娘・お熊が、500両という多額の結納金目当てに資産家の息子・又四郎と結婚。しかし、お熊は又四郎と寝所を共にしないばかりか、手代と密通し始め、やがて母親と共謀して又四郎を殺そうと図る。
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