虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

長谷川平蔵〜人を信じ、人を活かす

そんな話を聞いてたら、平蔵さんを“鬼平”って言うのは失礼よね。“仏の平蔵”じゃないの。

冬には炬燵もあったし、喫煙も許可されていた。最大の欠点は水が悪いこと。これだけは土地の性質上、どうしようもなかった。平蔵は水質のいい深川を推薦していたんだけどね。歴史の本には一応「長谷川平蔵が人足寄場をつくった」とは書いてあるけど、それがどれほど近代的でヒューマニズムに満ちた施設だったかについては書かれていない。これも全てが明治以降に「近代化」したと強調したかった薩長明治政府の弊害だろうな。

じゃあ、平蔵さんのおかげで寄場はうまくいったのね。出所した人もちゃんと仕事に就けたのかな。

平蔵も建議の際に指摘したように、どう頑張って更正させようとしてもどうにもならない連中もいた。しかし、平蔵は基本的に人間の「性善説」を信じていたようだね。それは若い頃、身分の賤しい者とも親しく付き合ったことで、社会のひずみや、人間の心の光と闇を学んできた男の人間哲学だと思うよ。

志半ばで斃れる

岡っ引きとか目明かしも信用して使ったから、成果を上げられたのね。

平蔵自身に、そういった底辺の人々を引きつける魅力があったんじゃないかな。その点から見れば、池波氏の『鬼平』像はかなり史実に近いと言ってもいい。生い立ちとか派手な剣劇は創作としても、天下の老中首座をコケにする度胸といい、寄場を成功させた経営感覚といい、官僚の枠には収まらないスケールの大きな人物であったことは確かだ。

それじゃあ、もっと評価されてもいいのにねぇ。特に寄場のこととか…。

まぁね。でも、正当に評価しなかったのは、今に始まったことではない。当時もそうだった。

わかるわ。定信公ね…。


定信以外にも、平蔵の特異な才覚や、物怖じしない態度を嫌う連中は多かった。そういう連中が定信に告げ口するから余計に始末が悪い。

本当に庶民の事を考えて、上司に従順じゃないお役人って、いつの時代にも排除されるのよね。

定信は寄場が軌道に乗ってくると、監視役である目付を複数送り込んで厳しく監視させた。これは「平蔵の勝手にはさせない」という意思表示でもある。そして寄場が臨時の収容所ではなくて、幕府の恒久的な役所であることを決めると、寛政4年(1792)には平蔵を罷免した。

酷すぎるわね。平蔵さんが手塩にかけて育てた子供を奪うようなものじゃない。

その後は町奉行所の管轄として人足寄場奉行という役職が新設され、平蔵には黄金5枚というわずかなご褒美が与えられるにとどまった。

普通だったら、その後出世していい役職をもらえるんじゃないの?


ところが平蔵の火盗改はそのまま据え置き。でも、そこで腐らないのが平蔵の素晴らしいところだ。47歳になって脂の乗りきった平蔵は以前にも増して業務に専心し、その名裁判官ぶりで庶民から“今大岡”とまで言われるようになっていった。そんな折も折、“平蔵嫌い”の定信が寛政5年(1793)、老中首座を罷免される。

やっと平蔵さんの時代が来たのね。めでたしめでたし…。


ところが、やっとこれからという時、寛政7年(1795)5月に平蔵は病に冒され、不帰の人となった。平蔵は旗本でありながら世事に通じ、町人の義理人情を良く理解した希有な官僚だった。「罪を憎んで人を憎まず」を地でいくような人でもあった。人間の悪を処断する仕事をしながら、人間の善を信じることをやめなかったんだ。いろんな面で実にユニークで、懐の深い人だ。きっと池波正太郎は、この人を発見したとき、狂喜し、入れ込んだに違いない。そうでなければ、歴史上の人物をモデルに、あれだけ長いシリーズを書けるはずがないからね。
<おわり>