虚構の中の真実 時代劇のヒーローたち

長谷川平蔵〜人を信じ、人を活かす

確かテレビでは『鬼平』さんは若い頃、相当やんちゃだったっていう話になってたけど、実際にはどうだったの?

平蔵が若い頃放蕩生活を送っていたという話は複数の資料に書かれているから、遠山景元の放蕩説に比べればかなり信憑性が高い。ただ、それは家督を継いでから親の財産を使って遊里で遊んでいたという話であって、ケンカ三昧というような武勇伝ではない。

テレビではムチャクチャ強いってことになってるでしょ。


剣術の腕前については、残念ながら資料がないからわからないし、捕り物の陣頭指揮を執るにしても、実際に刀を抜いたり十手を使ったかどうかもわからない。ただ、平蔵は遠山景元のような事務方の出身ではなくて武官出身のエリートだからね。それなりの心得はあったはずだ。

良かった。今回はイメージが壊れずに済みそうね。『鬼平』っていうくらいだから、鬼のように強くないと…。

『鬼平』というのは池波氏が作った呼び名であって、江戸時代にそう呼ばれていたわけではない。当時、庶民が口にしていた呼び名は『本所の平蔵様』であって、若い頃は『本所の銕(てつ)』なんて呼ばれてた。

『本所の銕』なんて、いかにも強くてやんちゃそうなイメージだけど…。

幼名が銕次郎(銕三郎の説も)だからそう呼ばれただけだよ。たぶん泣く子も黙る『本所の銕』というよりは、遊里で女郎達に女泣かせの『銕さま』ってな感じで呼ばれていたんじゃないかな。ああうらやましい…。

そんなヤワな人が、悪党を捕まえたりできないでしょ。バカバカしい…。

いやいや、この人の場合、その放蕩生活が仕事に生きてくるんだよ。市井の垢にまみれたことが、全然無駄じゃなかったんだ。

名奉行の子として

本所ってことは、平蔵さんは深川の生まれなの?


いや、生まれたのは築地だ。父親は400石の旗本で長谷川宣雄。母親は長谷川家に奉公に来ていた農家の娘らしい。生年は延享2年(1745)、将軍吉宗の時代だ。父の宣雄も火付盗賊改を務めたことがあるし、代々「平蔵」を名乗っているから、歴史上、火盗改の長谷川平蔵は2人いることになる。

それじゃ、どうやって区別するのよ。


アメリカみたいに平蔵シニアとか平蔵ジュニアとか言うわけじゃないからね。お父さんの平蔵は宣雄、『鬼平』のモデルになった平蔵は宣以(のぶため)というのが正式名だ。お父さんは目黒行人坂大火の犯人を捕らえるなど、火盗改として活躍した後、京都町奉行に栄転した。

お父さんの平蔵さんも、かなりのやり手だったのね。


町奉行になってからは、特に裁判官として優秀だったらしい。スピーディーかつ公正、情に篤い判決で京都市民をうならせた。仮に息子の宣以が町奉行になっていたら、この父の資質を受け継いで、大岡越前や遠山景元のように名奉行として名前を残したに違いない。

じゃあ、息子の平蔵さんも一緒に京都に住んでいたわけね。


ところが、赴任してわずか8カ月で、宣雄は惜しまれながら急死する。宣以30歳の時だ。
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